阿蘇神社の総本社である肥後一の宮阿蘇神社を始め、全国約500社ある阿蘇神社。当社も正式には「阿蘇神社」です。御祭神は神武天皇の孫神である「健磐龍命」をはじめ、家族神十二神をお祀りしております。地域の皆様からは海津のお宮、みやま阿蘇神社など、親しみを込めてお呼びいただいております。当社創建の恵良惟澄(後の阿蘇大宮司・阿蘇惟澄)が「阿蘓筑後守惟澄」と名乗っていたことから、筑後乃国阿蘇神社と称しております。当社は勝負運・商売繁盛・厄除けの神様として、御参拝をいただいております。朝鮮の役に出兵した柳川藩家老小野和泉守は、当社の前身である早鷹宮に武運長久を祈願、無事帰郷後に御礼言上参拝し、現在の社殿並びに神田を献納いただきました。
創建六八五年御鎮座四百年記念
筑後乃国阿蘇神社小冊子
筑後乃国阿蘇神社創建685年、御鎮座400年記念冊子です。神社の由緒を漫画にしたものや、みやま市の無形民俗文化財「御田植祭」の解説などを掲載しています。
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由緒
はじまり
延元のはじめ、南北朝時代のこと。南朝方についた阿蘇の大宮司・阿蘇惟直と義弟の恵良惟澄たちは、多々良が浜(現福岡市東区)にて大敗。
当時の阿蘇神社大宮司阿蘇惟直は義弟の恵良に大太刀を託して自刃します。
惟澄は辿り辿って杣の里より矢部川を下り、川のほとりでこんこんと深い眠りに落ちていました。
傍らには鋸のように欠けた刃。
そこへ無数の蛍がやってきて強い光を明滅させます。
翌朝、惟澄が目を覚ますと太刀は元の如く青白い光を放つ、こぼれの全くない銘刀にかえっていました。(*国宝 蛍丸伝説は、諸説あります)
早鷹宮
近くの宮園城の城主・大木貞久は、惟澄の傷が癒えるまで城内に留まらせます。
貞久の「貴方の郷、阿蘇の大明神を分霊して、ここ海津古川の丘陵に祀られよ」との勧めもあり、惟澄は海津古川の地に阿蘇の神様を奉祀します。
早鷹宮、これが筑後乃国阿蘇神社の前身です。
御鎮座
時代は移り、筑後国は立花藩の支配を受けるようになります。
宗茂公と共に朝鮮の役に出兵する際に必勝祈願をした家老・小野和泉守鎮幸(日本槍柱七本の一人)はめでたく凱旋され、早鷹宮(阿蘇神社)に御礼言上参拝されました(海津郷土史より) 。
この小野和泉守の命により社殿並びに神田が寄進され、元和八年(1622年)、現在の場所に早鷹宮より阿蘇神社として分霊、新築されました。
またその後も小野和泉守・小野若狭守、そして代々海津の氏子の方々より神殿再建、楼門再建に多大なる尽力をいただきました。
初代宮司の恵良惟澄より、大木貞久、小野和泉守、海津の氏子の方々を始め、多くの方々のお陰で共に長い間守り、守られてきた筑後乃国阿蘇神社。
令和四年(2022年)には移転400年、そして 令和十九年(2037年)には創建700年を迎えます。
祭祀
御田植祭
毎年三月第一日曜日 斎行
一年前からの神田の耕作に始まり、本殿に奉納する大注連縄の製作、赤白鈴紐作りに至るまでの準備。当日は神事の後、社殿隣広場にて御田植神事を奉納。神職を中心に、花笠を被った早乙女(小学生)、田打男、馬草刈り、種蒔、其々の役が面白可笑しく演じられ、五穀豊穣が祈られる。平成10年にみやま市指定無形民俗文化財に登録。
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